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P.A.WORKSインタビュー 【第二回】設立の“志”とその先へ向かう『有頂天家族』

――P.A.WORKSは富山県在住のアニメ制作スタジオとして非常に注目を集めています。そもそもどうして富山県でスタジオを開こうと思われたのでしょうか。


堀川  僕はプロダクションI.Gやビィートレインでアニメの制作に携わっていたわけですが、家族の事情で故郷である富山に戻ることになったんです。その時まで自分はアニメを作る以外に何もやってきていませんから、富山でもアニメが作れればなと思って2000年に、吉原と二人で会社を設立したのが最初です。その時は後先のことなどあまり考えていなくて(苦笑)、東京でやってきたようにTVシリーズを毎週納品していければな、と思っていたぐらいで。ただそれがどれだけ大変なことかは、あまり考えず……(苦笑)。ただそれに吉原がついてきてくれたわけで、彼の作りたいアニメーションを作れるスタッフがいる会社にはしたいと思いました。ゼロから人を育てて10年はかかるかなと思いましたが、実際にはもうちょっとかかってしまったな、と。


吉原 堀川とは『人狼 JIN-ROH』で知り合って、その後プロダクションI.G作品、ビィートレイン作品とずっと世話になっていたんです。その堀川が故郷に帰ってからも、アニメの仕事をしようというわけです。これはなかなか決意できることではないと思いました。僕と堀川は似たような年齢なんですが、堀川が決断をさせたその気持ちに僕は便乗したんです(笑)。その時、自分に足りないのはそういう部分だと思っていたので。そう思っていたから、お互いに背水の陣で新たに一緒にやってみようということになったんです。


富山県にあるP.A.WORKS本社。ここから数々の名作が生み出されている。


――スタジオを始めるにあたってP.A.WORKSをどういうスタジオにしたいと考えていましたか。


堀川 そうですね……。楽しい現場というのはいろいろ体験はしていましたが、理想の現場というのとは少し違うわけで、そんなに具体的なスタジオのイメージがあったわけでもないんです。ただスタジオを設立した2000年から2006年ごろまでは、アニメの作品数がどんどん増えていった時期でした。そういう時はアニメーターが売り手市場になるので、どうしても手間のかかる作品に参加してくれる人は減ってしまうんですね。だから『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のような骨太の作品でも、監督のオーダーに応えてちゃんと動かすことをいとわない、そんなアニメーターのいる会社にはしたいと思いました。


吉原 今、堀川が『攻殻機動隊』の名前を出しましたが、あの作品に出てくる公安9課の課長である荒巻が「人間の身体拡張」ということを言っているんです。堀川にしても、僕にしても当然ながら、一人でやれることの限界は決まっているんですよ。だから会社を設立したところから、堀川の身体拡張というのは始まっているわけで。じゃあ、僕はどう身体を拡張するか。となると、やっぱり人を、アニメーターを育てるということになるだろうと。堀川の身体拡張と僕の身体拡張がちょうど利害の一致を見た(笑)というか、必要な部分を補い合うことでスタートしたというのがP.A.WORKSという会社なんです。


――すると吉原さんは、P.A.WORKSでどういうアニメーターを育てたいと思ってやられてきたんでしょうか。


吉原 すごくざっくばらんな言い方をしてしまうなら、僕が監督・演出をする時に、ちゃんと戦力になってくれるスタッフ(笑)ですね。もちろん、それはほかの現場でも十分役に立つ人間を育てるということでもありますし。ただ、その目標に達するのは簡単なことではないです。


P.A.WORKS本社内の吉原監督の作業机。アニメーターたちの机と並んで置かれている。


――どこに難しさがあるんでしょうか?


吉原 まず一つは、現代の仕事を取り巻く環境の難しさですね。アニメーターの仕事というのはどうしても最初の動画の時代が、仕事の内容的にも収入的にも厳しいものがあるんです。でも動画で経験を積んで原画になるというステップには意味がある。すぐに結果が出ないなら他へ移ってもいいんだという、今風の考え方がある中で、どうやって動画から原画へ、さらにその先へ進むモチベーションを維持していくか。もう一つは、僕自身が変わらなくてはいけないという難しさです。僕はやっぱり自分で描いているのが一番楽しいし、楽なんです。でも以前、神山(健治)監督に仕事をする時の心得としてこういうことを言われたんです。「自分のできる楽しいことは人に委ねなさい。それは一番後でフォローが必要になってもなんとかなる。むしろ人に渡したいような悩ましいことこそ、自分でやりなさい」と。そうするとやっぱり、僕は自分で描いちゃえば楽なところを手放して、人を育てることをまず考える自分にならなくてはいけない。この二つの難しさは、スタジオを始めてから今に至るまでずっと続いていますね。


堀川 僕の側から言うと、そうやって育ったアニメーターが若いときだけでなく、40歳を越えてからもどうやって仕事をしていけるか、そういうところまでこれから考えていかなくてはいけないと思っています。そういう先輩がいることが、若手の目標や励みにもなりますし。


吉原 P.A.WORKSという会社は、堀川の真面目な部分が前面に出ている会社だと思います。そしてその真面目さが評価されて、10年を越えて今ここに至ることができた。僕は、堀川とP.A.WORKSを始めたわけですが、僕の仕事はずっと東京のプロダクションI.Gが現場の中心でした。だから、P.A.WORKSで本格的にシリーズを作るのは今回が初めてなんです。堀川が支えた10余年の財産を活かしつつ、僕が『有頂天家族』をどう作るか。それはもしかすると、これまでとはまたまったく異なる方向に進む作品になると思うし、僕としては、この作品が僕とP.A.WORKSの次の始まりになるんだと思っています。


――ありがとうございます。次回は、これまでを振り返って、P.A.WORKSの転機についてうかがいたいと思います。